永里正彦氏~ちょっと親の「余計」を考えてみましょう

社会は「与え過ぎ」と「与えなさ過ぎ」が極端に偏る傾向にあると言っても過言ではありません。子供が自ら適量適正の判断ができることが何よりですが、私は常に大人が目配りをして「余計」を考えなければならない時代だと思います。格差から適量適正に満たない子供たちがいるのもの事実としてありますが。

親子どちらが「余計」のいる要らないを見極めるのでしょうか。子供が判断する前に親が決めていることが大半ではないでしょうか。そして、その「余計」が子供にとって楽で自分に有利に働くならば子供は決してその余計を「いらない」とは言わないでしょう。子供が逞しくて「自分でやるから余計なことはしないで」と言えれば別ですけど。

私たちの「余計」で子供が喜んでいるならいいだろう。失敗せずに上手くいくならいいだろう。どこかで親が勘違いをする。それは子供のためにはならず、親自身の満足感を得るためであることに気づけない。親の世間体だったり、見栄だったり。もしくは分かってはいても一回ぐらいならと安易に「余計」を差し出してしまう。

私の幼少期は「余計」がなかった。やらされたと言うより、私はできることは何でも自分でやるのが楽しかった。針仕事、掃除、洗濯、ガス釜でご飯も炊いていた。あまり裕福ではなかったおかげで自活する力が養われたと思っています。私の親はできる範囲で「私がしたいこと」はさせてくれた。それ以外、親からの余計なものや余計なことはありませんでした。

さて「電卓」は確かに大人になれば便利な必需品ですが、噛み砕いた理解がないまま使ったらどうなるでしょう。考えようとする力や考え続けようとする持久力を養って欲しい親なら未熟な時期から使わせようとはしないはずです。社会は便利さを追求しすぎて「余計なもの」や「余計なこと」で溢れています。皆さん、我が子への「余計」を考えてみましょう。

親が子への「余計」を減らせば、親の見守る力を磨くことができます。

親が子への「余計」を減らせば、子供の挑もうとする力が磨かれます。

親が子への「余計」を減らせば、親と子のコミュニケーションは深まります。

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